粗探しをする人との付き合い方・告げ口する人の心理

優しい人に見えて、実は陰で自分のことを仕事ができないふうに見せようとしているなんて知ってしまうとショックです。

他人の粗探しをすることで、自分の方が優位であるといつも確認したい人との付き合い方を考えます。

見えすいた意地悪はされないが、なぜか仕事がやりにくい

以前の職場で、2人1組のチームで仕事をしていたことがありました。

仕事自体はうまく流れていたのですが、やりづらさを感じていました。相手から信頼されていないのがその理由だとその時は考えていました。

一年ほどで業務内容の見直しがあり、今度は別の人とチームを組むことになりました。元のパートナーとは業務が分かれ、これまでは入れ替わりのことが多かったのですが、それ以降は彼女と同じ日に出ることが多くなりました。

そして、気づいたのです。
元パートナーは、新チームの相手のことを、とてもライバル視しており、何かあれば鬼の首を取ったように、相手のミスを他の人に伝えていることに。

人のミスを見つけて、周囲に知らせずにいられない人

相方がいないとき、とてもさりげなく、相方の仕事について評価を下げるようなことをまわりの人や上司に伝えている元パートナーの様子を見て、私が感じるやりづらさはこのせいだったのかと気づきました。


自分が正しい、自分が上だと見せつけたい人

それを知って、あらためて以前を振り返ってみると、思い当たる節がいろいろあります。

彼女も私も同じ職務で上下関係はなく、スキル的にも彼女が上というわけでもないので、彼女が私より格上でいようとすれば、粗探しをしたり、他者の評価を下げることで自分の立場を上げるしかない。

ライバル心は一人だけに向かうわけではなく、チームをまとめる上司が休暇のときには、上司の指示がなくても仕事が回せることを証明するため、必要以上、責任範囲外の業務に手をつけることもよくありました。

当事者の立場を離れ、客観的に見てみると、自分がチームを組んでいた人がどういう人で、なぜ自分が働きづらかったのか理解できました。

ゆがんだ正義感が暴走する危険

相手のやり方に非があり、そのことが私を窮屈にしていた。

それを知ってしまうと、今度は私の方に問題が起こりました。

彼女のパートナーとなっている人に過去の自分を投影してしまい、彼女がパートナーにやっていることが許せなくなってしまったのです。

実際にはそばから見ているだけの第三者なのに、まるで自分が不当な仕打ちをされているように感じてしまい、当事者のように腹を立て、自分の方が正義だと思ってしまうようになりました。

これはよくなかったなと思います。

脳科学者の中野信子さんが以前に講演で、「理想主義的な要素の強い環境は、とても制裁行動が発動しやすい環境」と言われていました。

仲間の小さなミスを絶えず探し、さりげなく告げ口し、自分の立場を格上に保とうとしている人を見ていると、ターゲットになっている人を守りたい、陰でどんなことをされているのか教えたい、という気持ちが湧き起こってきます。
同時に、自分もこういうことをされ続けてきたのだという怒りで胸がいっぱいになります。

その怒りを動力にして、自分とは別の人も同じ被害に遭っていることを大義名分に、よくないことをする人は「制裁」されるべきだ、と思ってしまう危険性。

他にもこの本でも、誰でも「危険な隣人」となる可能性を指摘していて、その通りだと感じました。

人の考え方を変えることはできない

チームメイトではなくなった私に対しては日常的にライバル心を燃やさなくてよくなったからでしょう。

これまでは別の人に私が仕事ができないということを触れ回っていたのが、今度は私に対して、新しいパートナーがいかにできないかを訴えてくるようになりました。

聞くに耐えず、「チームとして一緒に仕事をするのに、理由のない上下関係を持ち込まれるのはきついと思う」と、経験者としての視点で、彼女の仕事や仕事仲間への姿勢を改めてはどうかと、一度穏やかなかたちで提案してみましたが、「性分なので改めることはできない。私のやり方は間違っていない。みんなが嫌なら私はこんな仕事やめたって構わない」という答えが返ってきました。

彼女の中では、周りのすべての人よりも自分は仕事ができる・優秀であるということは、「そうあってほしい」という願望ではなく、常に事実でなければならないのかなと、その答えを聞いて感じました。間違ったかたちで自己同一感を得ようとしている。

そして同じように私の中でも、「職場の人たちは皆が快適に仕事ができるよう、穏やかでなければならない」という願望が、いつのまにか必要条件、皆が守るべき義務だという信念になっていて、そこからはみ出す元パートナーを敵視し、自分の感情を乱していたのだなと発見しました。

こういった、「自分が正しい」という強い思いから発生する相手への非難の気持ちを持ち続けると、間違った方向に進んでしまいがちです。

私自身、自分がかつて被害に遭っていた相手のずるい部分を目撃したことに興奮し、「この人は陰でこんなウソを言っている」と周囲に言ってしまいました。

被害者が自分ではないぶん、正しいことをしている、という気分に浸れるのですが、この行為は結局周囲を不快にするという点では相手と同じことなのです。

「自分が絶対正しい!」と思っている人に振り回されない方法

この本には、生きていればきっとどこかで出会っているタイプのエラソーな人がたくさん出てきて、「あるある!」となります。

対処法として、相手の言葉を分析しながら聞くこと、と書かれており、なるほどと思いました。

私は面と向かって話をすると、自分が間違った反応をしないかどうか、相手に失礼なことを言わないように、ということばかりが気になり、相手の言葉をただ受け止めるだけになってしまいます。

一旦持ち帰って相手の言葉を分析し、間違ったことや失礼なことを言われていたことに気づいて、あとからムカムカしてしまうのです。

まずは自分がどう思われるかではなく、自分が相手の言葉をどう思うかにフォーカスしながら話を聞く必要があると感じました。

人と自分は違い、ある程度歩み寄れる可能性はあるものの、基本的にはお互いが見ている世界は違っていて、意見を戦わせてもほとんどはどこまで行っても平行線であること。

人はそう簡単には変わらないので、自分の考え方や行動を変えていくしかない。

とはいえ、粗探しなどの言動はある種の攻撃なので、自分への攻撃をまともにくらわないようにするためには、何らかの対策を取らなければならない。

他人に攻撃を加えているのを知りながら見て見ぬ振りをするのもストレスになるので、その点についても穏便な対処法が必要になります。

上に挙げた書籍の著者、片田珠美さんが別の著書の中で、元パートナーのようなプライドが高く迷惑行為が多い人に対しては、直球のアドバイスだと全く聞く耳を持っていないので、ほのめかした方が効果がある、と書かれていました。

誰かに言われたから直すのではなく、自分が判断したからやり方をあらためる、ということにした方が、本人の中で落としどころが見つけられるということなのでしょう。

他者への不適当な評価を広める人に対して、「その評価は正しくない」とその都度冷静に反応し発言し続けることがいちばんいい方法なのかなと考えています。

最近読んでおもしろかった本。
シャーデンフロイデ・人の不幸は蜜の味。

人間ってめんどくさいけど、だからこそ面白さもあるのでしょう。

コメント

  1. snowchild より:

    Akioさま
    コメントありがとうございます!
    心中お察しいたします。