ブログを見ている友人に「たすくまって何なの」と不審げに尋ねられましたが、説明すると興味を持ってくれました。
生活の全部を記録すると聞くと、やはり少し息苦しさを感じるようです。
最初から全部揃えようとしない
すぐに記録を取るのを忘れて脱線してしまいます。
数年前の私であれば、すぐに挫折したかもしれませんが、最近の私は記録を取ることのメリットをちょくちょく実感しているので、「今は穴だらけでも、続けていれば何らかのデータが得られる」と思いながら続けています。
スマホをポケットでなくバッグに入れているため(そもそも服のポケットにハンカチ以外のものが入っていることがあまりない)、記録ボタンを押し忘れることが多いです。
ポケット使用率の低い女性は不利だな……。
スマートウォッチで、とりあえず動作がスイッチした時間だけでもメモできないかと思っていますが、そんな工夫をするより、スマホを確実に持ち歩く努力をした方が早いのかな…。
ダメな自分を監視するためのシステムじゃない
自分の行動の全てを記録することに抵抗があるのは、面倒という以外に、自分のぐだぐだな姿を直視するのが嫌だからというのもあります。
たすくまで記録をつけはじめて今日まで、朝せっかく早く起きたのにだらだらと布団の中で小一時間もネットを見ていたり、夕食後、英語学習のために海外の俳優さんのインタビュー動画を見ていたはずなのに、気が付いたら変なゴシップ記事(日本語)を読み漁っていたり、そういうダメな自分の記録が着々とたまってきています。
なんてダメな自分。
せっかく朝起きたのに。
どうしたら改善されるかなあと考えはしますが、記録を振り返った翌日から、別人のように有意義な過ごし方をしはじめる…ようなことにはなりません。
詳細な行動記録は、監視カメラのような存在になるのかという気がしていました。
「理想の自分」を追い求める自分に命令されて、窮屈な毎日を送らなければならないんじゃないかと。
自分を追い詰める「理想の自分」って何なんだろう、と。
しかし実際に記録をつけてみると、「すべて記録する」ことは、そんな恐ろしいものではありませんでした。
「早起きしてアレをやろうと思っていたけど実際はネット見て寝落ちしてできなかった」という記録が残るだけです。
計画通りにできなかったことを責めたてるもう一人の自分は幻想でした。
早起きはしてもだらだらし続ける自分への対策として、『SNSとメールチェック』というタスクに10分間の見積もり時間を設定しました。
目が覚めたらまずたすくまを起動し、『SNSとメールチェック』をスタートさせ、10分後アラームが鳴ったらとりあえず一旦スマホから離れよう、と決めました。決めるというか、その直後にそういうタスクを入れました。
これは、だらだらしている自分を罰するための、あるいは強制的に正しい生活態度に変えるための対策ではありません。
自分のやりたいことをやるため。
かたい意志力でもって布団から出る、のでなく、次はこれよ、と言われたからハイハイと出る、くらいの軽さでテンポよく進めるようになるといいです。
ひとつのプロジェクトを進めるために小さくタスクを砕いてとりかかりやすくするわけですが、タスクを積み上げていくルートって一つじゃないんだなと思います。
ピラミッドを作るのに、片側だけをどんどん積んでもダメ。
いろんな角度からお膳立てして、うまくいくように工夫しないと。
ゴールデンタイム
出勤前にいつも発生する空白の時間に何かをやると、すごく集中できることに気づきました。
朝の準備をもう少し早く終わらせれば、このブロックをもっといい感じに使えそうです。
終了時にメモを残す意味が分かってきました。