功を焦ってミスった失敗談いろいろ

前記事で過去の失敗談について書きましたが、不用意に記憶の蓋を開けてしまったら、いろんな黒歴史が出てきて恥ずかしさに悶えています。

このまま悶えているだけでは悶え損、せっかくなのでいくつかご紹介してみようと思いたちました。
人の失敗談を聞くのって結構楽しいですよね。楽しくないですか?

話の最後は教訓ぽく締めて終われればいいのですが、うまくいくでしょうか。

「私の方が上手にできる」

中国出張に行ったときのことです。新規取引先を探す旅で、いろんな工場を視察して回っていました。

そのうちのひとつは外資が入った工場で、工場長さんはなんとフランス人。
中国の片田舎に単身赴任、しかもその町に住むフランス人はたった一人、という過酷な環境でお仕事をしていらっしゃったのですが、それはまた別のお話です。

フランス人工場長は中国語ができないので、工場側の通訳さんが付いています。
たまたまなのかいつもなのか、私たちが訪問した日はフランス語ではなく英語での通訳を介して意思の疎通をしなければなりませんでした。若い中国の女の子が工場長のそばに立っています。

工場長の英語を彼女が中国語に訳し、彼女の中国語を私が日本語に訳す、というなかなかめんどくさい状況でした。

フランス人工場長の英語は母語ではなくゆっくりめの発音で、私でも聞き取れます。
かたや通訳をしてくれる女の子の中国語はネイティブ向けの容赦のない速度です。

自然に入ってくる工場長の英語を処理しているところに、その中国語が流れ込んでくると、私の脳は大混乱をきたし始めました。

そのややこしい状況がめんどくさかったのが半分、「このくらいの英語なら私にもわかる」という見栄が半分、私は英語通訳の女の子に工場長の英語がわかっていますというアピールを始め、途中から彼女をすっとばして英語から日本語への通訳をしてしまったのです。

工場内を見学しながら私たちと少し離れて歩く彼女の姿を見て、とても失礼なことをしていることに気づきました。
彼女に謝って再び通訳に入ってくれるようにお願いしました。私への中国語はできるだけゆっくりめに話してくださいと付け加えて。

工場内の会話は専門的な用語も多くなり、私の英語力では対応できず、彼女がいなければ困ったことになっていたでしょう。

同じ目に遭ってはじめてわかる

また別の職場での話になるのですが、私がメインで担当していた商談が、ある条件をこちらがのむことができずに立ち往生していました。上司に相談した結果、その条件に関しては譲歩することができないので、いったんペンディングして相手の出方を見ようということになりました。

自社オフィスの商談ブースで相手と相談し、ひとまず保留にすることで話がついて顧客を見送る段になって、どうやら話を聞いていたらしい同僚が私とお客さんの間に飛び込んできました。

「○○ができないというのがネックになっているのであれば、それを私がどうにかするのでこの案件を継続しましょう!」

お客さんの前で、事前に何の相談もなく同僚がそんなことを言い出したのが想定外で、私は絶句してしまいました。
顧客と話を続ける同僚を背にして自席に戻り、ショックでしばらく頭を抱えていましたが、そのときにふと、中国出張時にやらかした前述のミスのことを思い出しました。

悪気がなかったとはいえ、通訳の彼女にはずいぶん失礼なことをしてしまいました。あの時の私のように、同僚の彼も悪意があってやったことではないのかもしれません。

彼にしてみれば、ブースから聞こえてくる私の提案がまどろっこしく、「自分ならうまく契約につなげることができるのに!」という思いを抑えきれずに飛び出してきたのでしょう。根は悪い人ではなかったので、私のことを出し抜こうとかそういう気持ちではなく、「自分ならうまくやれる」という一心だったのかなと思います。

とはいえ、悪意があってのことならこちらも強く出られますが、よかれと思ってやってくれたことの方が却って対処に困るものです。迷惑だし止めてほしいけれど、善意から出たものかもしれないと思うと強く言いにくい。性格的なものなのか、彼はこういう余計なことをしてくれることが普段から多かったのですが、この「私ならできます」の割り込みはかなりチームに(特に私に)ダメージを与えました。

結局、事の次第を知った上司に彼はたしなめられ、私に詫びの言葉もかけてくれました。
昔の自分を重ねつつ、彼を反面教師にして同じ間違いをしないようにしなくては、と反省したのでした。


功を焦らず、ともに働く人に敬意を払う

中国語では功名心にとらわれることを「好大喜功」という成語で表せます。
日本語でも同じ表記で四字熟語(こうだいきこう)として使われているそう。初めて知りました。

まわりの状況を考えず、ただ「自分ができることを証明したい」というエゴで動いても、いいことはありません。

若い時には「自分がうまくやること」ばかりに気を取られてしまい、周囲の人たちにたくさん迷惑をかけてしまいました。

そのおバカな一途さは、飼い主に投げてもらったフリスビーをうまくキャッチできたのを「見て! 見て! とれたよ! すごいでしょ!」と見せに戻ってきたものの、フリスビーをくわえて離さない犬のよう。若いから許されていたけれど、ずいぶん間抜けな姿だっただろうなと思います。

歳を重ねた今、無邪気な子犬のようなアピールはさすがにもう受け入れられないでしょうから、これからは器用貧乏にいっそう磨きをかけて、地味に役立つ村の物知り婆のような存在を目指すことにいたします。