『英子の森』読了・英語に憧れる人たち、搾取する側・される側

語学

以前単行本が出たときに一度読みましたが、文庫化されて話題になったのを機会に再読。

英子の森

外国語を学ぶことが好きで、少なくない時間とお金を自己投資し、外国語を生かした仕事につきたいと願っている人にとっては大変にホラーな小説です。

語学に関わる人たちがモヤモヤしているところを容赦なくえぐっていく。

教わる立場、教える立場、仕事を渇望する立場、仕事で使う立場、外国語を学ぶ過程で通るどの部分も経験してきた身にとっては、本当に「痛い」です。

先日議論を醸していた「わたしおかあさんだから」炎上とは違い、こちらは内側にいる人間、当事者といっていい著者が的確に痛いところをついてくるため、共感と反感と、なんともいえない気持ちになります。

英語ができれば

子どもの頃から社会人になってもずっと、教育をうける中で、「英語ができればこんなメリットがある」というスローガンは、直接的にも間接的にも誰しも聞いたことがあると思います。

留学したり、国内で本格的な語学学校に数年通ったりすれば、百万単位のお金が消えていきます。

それでも、「将来役に立つから」と念仏のように唱えて学び続ける。

結果、ある程度使える語学力を身につけて、いそいそと社会に身を投じてみれば、待っているのは「誰でもできる」とされる仕事(この表現もうつくしくないですが)と同じ待遇での求人ばかり。

私が費やしてきた、何百万円、何万時間はいったい何だったんでしょうね?…と暗い気持ちで自問自答する毎日が始まります。


搾取される現実

目に見えないスキルは個人にとっての商品であるにもかかわらず、モノと違って軽視されがちです。

例えばおうちで農業をやっている人が職場にいるとして。
職場のひとに「うちにいっぱいキャベツあるんでしょ、旬には捨てるくらいあるんでしょ、みんな困ってるんだからちょうだいよ」と言われることはめったにないと思います。
言われたとして、言った方がおかしい、というのがそれを聞いた人の共通認識になるでしょう。

キャベツを育てるためには金銭的時間的コストがかかっています。商品にするために生産されたもので、タダで配るために作られたわけではありません。
ただその職場で一緒に働いているからというだけで、キャベツを無償で要求するのはおかしな話です。提供を求めるなら、受け取るキャベツの質に応じた対価を支払うことが必要です。

語学スキルを習得した人にとって、自分のスキルはキャベツと同じ、自分の商品。

それなのに、「もったいぶらないでよ、ケチケチせずに、ちゃちゃっとやって」と求められる。

外国語学習に関わる人であれば、一度は経験のある話で、たとえ大昔のことであっても、当時のモヤモヤ・イライラが胸に蘇ってくることと思います。

語学に関わる人であれば、同士に対して一定のリスペクトを持っているだろうと思っていたら、そうでもない場合もあって、がっかりしてしまうことも最近ありました。

通訳養成学校で講師としても働く通訳者の方のブログ記事。
身につまされます。
地方では、もっとあからさまに低料金です。

『英子の森』を読んで身悶える - インタプリタかなくぎ流
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語学とのつきあい方

語学だけで身を立てようとするなら、一点集中で突き抜けるしかありません。
なかなか険しいイバラの道です。

四か国語ができたとしても、能力給をつける余裕がないということで、レジ打ちのアルバイト程度の報酬しか提供しないところがほとんどです。

語学以外のプロフェッショナルな知識や技術を複数持って、それらを適宜掛け合わせながら、自分の価値を理解してくれる雇用主あるいはクライアントを見つけていくしかありません。

それから、語学の能力給がつかないのに、業務外の語学スキルの提供を求められるところでは、「やりがい搾取」されることなく、きちんと断ることも大切です。

昇給を求めるために、自分がスキルを持っていることを示すときには、「本来業務外ではあるが、こういう能力もある」と表明しておき、ズルズルと契約外の仕事が通常業務になってしまわないように気を付けなければなりません。

語学ができないひとに限って、「減るものではないのに出し惜しみして」と、こちら側をケチ認定するので、上述の「語学スキルは商品」であることを丁寧に説明しなければなりません。

就職で有利になるため、はあやうい

就職に有利になるために自己投資するには、今の時代、語学スキルはあまりにも不安定です。
外国語スキルの求人情報を長くウォッチしていますが、今後劇的にこのスキルの価値が上がることはないでしょう。

誰から求められなくても、何の見返りもなくても、自然に体が動いてそちらに行ってしまう、というくらい愛と運命を感じる、「外国語」あるいは「外国語スキルがないとアクセスできないコンテンツ」の存在がなければ、正直近づかない方がよいのではないかと、森の中にいる私は思っています。

何百万円、何万時間をつっこんでしまうと、サンクコストのことを考えてしまい、撤退できなくなってしまいます。

何百万円、何万時間をつっこんでも、経済的見返りが何にもなくても、それでも追いかけたい好きなものが語学の先にある。

そういう人が、実際に外国語能力が必要な分野で活躍しているように思えます。
また、たとえ仕事として活かしていなくても、語学によって人生を豊かにしている人は、森の中にいても明るい。

搾取されず、自分の好きなもののために生きる。
それが語学と健全に付き合う方法なのかなと考えています。

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